mukunomimico

けれども

無題

修論でお世話になった某小学校の先生方に「もう来ないの?」と言ってもらい、挨拶を兼ねて2月某日、再び仙台へ。

面白い事に出雲からの飛行機に搭乗失敗し(こんなことある?)それでも行きたかったので、急遽米子まで戻り、JRを乗り継ぎ乗り継ぎ半日かけて北上するパワープレイをキメるなどして始まった今回の訪問。

 

いつものように立ち会って、カンファレンスして、また立ち会って、、、というのをこの間のおさめとしてやろうと思って、よしいまからご飯食べつつ話するか〜って退勤したところに休校の報せを聞く事に。3月、まだまだこれからってときに。動揺。

今年度わたしも、この子らと、この子らとともに変わっていく教師のすがたを近くで見つづけてきたわけで。ちょっと力が抜けてしまった。先生の悔しさも肌で感じつつ、わたしも現場でコロナ休校騒動のこの日をむかえることに。

 

金曜日、子どもらが今のクラスでそろう最後の日。テスト消化のためのありえんひどいスケジュールが指示され、この子らの教師として試されるような状況の中で、その先生なりの「熟考」があったように思う。こんなこともあるんだな、、と思った。1日を終えての顔つきが良かったわけで。わたしは、あんまりこの先生をみくびっていたかもしれないです。同僚のT先生の後押しもあるけれど、(ナイスでした。課題としてることが近い気がして、またどこかでお話したいです。)ただその前にこの先生がじぶんを鍛えつづけて努力してきた証拠なのだろう、と思いつつそこに居ました。

 

この間の、未熟な教育の臨床研究(にもなりきれないが)のひとつのおわりに。

修論自己評価としてはいまはもうみたくない、に尽きるし、公私ともに今年はとてもきつかったけど、界隈があるとするなら、そこからすこし距離をとりつつ、この異端ぽい立場で、長く学校にいれて総じて面白かった。

すこし昔に、指導教員に、おまえ教師をささえたいの?子どもを支えたいの?どっちだ、って言われたことがある。当時は全然わからんわそんなん、と思っていたが、この時間を過ごして今持っている感じ、それをもちつつ来年度から現場に出て得る感じ、当初のものは忘れたり無くしたり深みを持ったり移ろっていくものだけれど、やってみて修正しながらまあやりつづけるのみだなあと思う。船みたいにゆらゆらと色んなとこに立ち寄りつつ面白くやっていきたいですね。

 

おわり。